抗生物質(抗菌薬)は、細菌による感染症を治療するための強力な武器ですが、全ての咳に効果があるわけではありません。特に、咳の原因がウイルス感染である場合、抗生物質は全く効果を発揮しません。なぜなら、抗生物質は細菌の増殖を抑えたり、細菌を殺したりする作用を持つ薬であり、ウイルスの構造や増殖の仕組みとは異なるためです。咳を引き起こす感染症の中で、最も頻度が高いのは、いわゆる「風邪(感冒)」です。風邪の原因の約80~90%は、ライノウイルスやコロナウイルス(新型コロナウイルスとは異なる、一般的な風邪の原因となるもの)、RSウイルス、アデノウイルスといった様々なウイルスであると言われています。これらのウイルス感染による咳に対して、抗生物質を服用しても、ウイルスの活動を抑えることはできませんし、症状の改善も期待できません。インフルエンザも同様にウイルス感染症であり、抗インフルエンザ薬という専用の抗ウイルス薬が用いられますが、抗生物質は効果がありません。ウイルス感染による咳は、多くの場合、体の免疫反応によって自然に軽快していきます。治療の基本は、安静と休養、十分な水分補給、そして症状を和らげるための対症療法(咳止め、去痰薬、解熱鎮痛剤など)となります。抗生物質を不必要に使用することは、副作用(下痢やアレルギー反応など)のリスクを高めるだけでなく、薬剤耐性菌(薬が効きにくい細菌)を生み出す原因にもなりかねません。これは、将来本当に細菌感染症にかかった時に、治療が難しくなるという深刻な問題に繋がります。医療機関を受診し、医師が診察の結果、細菌感染の可能性が低いと判断した場合には、抗生物質が処方されないこともあります。それは、決して治療を怠っているわけではなく、不必要な抗生物質の使用を避け、患者さんの体を守るための適切な判断なのです。咳が続く場合は、自己判断で抗生物質を求めたりせず、まずは医師に相談し、原因に応じた適切な治療を受けることが大切です。