内弁慶の保育園時代に優しかった先生。うさぎ組のほんわかした先生との思いで

共働き夫婦の元で生まれた私、保育園に行く時は覚えていますが、親離れができずにギャーギャーと泣き叫び大変でした。この採用保育士が奈良では大和高田のどこにもなればよく考えると保育園に行く年齢はまだ幼いというのに、おねいさん母親がわりとなってくれるような存在や先生がいないのも不安でした。保育園での私は一人で自由に興味の赴くままに過ごすことは得意でしたが、みんなと同じ行動を取ることが苦手だったんです。それに人見知りで、友達と関係を築くのは苦手な内気でした。ところが、ひとり優しい女性の先生がいて、先生は〇〇ちゃんの妹?というきっかけから、気にかけてくれるように。今で言うところの贔屓目にしてくれた先生でした。この先生は噂では、友人が産んだ子供を亡くなった友人の代わりに独身で育てたとかで暖かい性格の先生でした。もうどこの評判の奈良で保育園を見つけるにはここからは先生とは家でおしゃべりするように会話もできました。「今度お父さんが転勤するらしい。でもお母さんに聞きにくいから、先生聞いてくれる?」なんてことも口にしたりして…。実際先生は母親に、こんなことを話していましたよ〜。的に連絡していましたね。次女という事情から母から放任気味に育てられていたので親に雰囲気の似ている先生が好きでした。やっぱり相性のいいタイプ、馴染みやすいタイプっていうのは子供にもあるものだなあ…。という思いでです。その先生の写真を大人になってから見てみると、やっぱりホワホワしていそうな雰囲気が記念写真からも出ていました。他の先生たちはシャキッとしている、はつらつタイプ。先生も人、いろんなタイプの人がいて当たり前なんですよね。それが子供時代はまだ適応できずに、なんとなく嫌いな先生といい先生を子供なりに区別しながら、あう先生とだけ話しをしていた覚えがあります。あの時の先生はもうおばあちゃんになっていると思うけれど、うさぎ組の先生、今でも心に記憶に残されています。わたしの母親も結構相性がよかったようでした。大人同士が好相性なら子供同士も仲良くなりやすいみたいです。